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鶴岡八幡宮(鎌倉市)

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写真: 鶴岡八幡宮(鎌倉市)

写真: 15.04.03.鶴岡八幡宮(鎌倉市) 写真: 鶴岡八幡宮(鎌倉市)

mixi記事コピペ――
鶴岡八幡宮 ・八幡神/ (鎌倉市)
2010年10月03日 22:40

94年に初めて足を運んで以来、毎年行ってました。3回行った年も。
6年前までは………il||li (´;ω;`) il||li間違いなく…。
何回行ったか覚えていないし、行けなかった年もあったような、近年訪問の記憶もないような…。
鎌倉、八幡サマ、江ノ電、江の島、定番中の定番。されど飽きない。

そしてそして!! (やはり!)写真がないっ!w(°A°:) w
食事処とかちょー紹介したいけども!ゴメンナサイ!www
(あ。メシは江の島ばかりだな……)


11.06.20.
●鶴岡八幡宮――
宇佐神宮、石清水八幡宮とともに日本三大八幡宮のひとつに数えられることも。
康平6(1063)年8月、河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏2代目 源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮護国寺(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を、鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まり。
永保元(1081)年2月、河内源氏3代目 源義家(八幡太郎義家)が修繕。
治承4(1180)年10月、平家打倒のため挙兵した河内源氏後裔 源頼朝が鎌倉に入り、宮を現在の地である小林郷北山に遷す。以後社殿を中心にして、幕府の中枢となる施設を整備していった。
建久2(1191)年、社殿の焼失を機に上宮と下宮(じょうぐう、げぐう)の体制とし、あらためて石清水八幡宮護国寺を勧請。
承元2(1208)年、神宮寺が創建される。

・ご神徳・縁起――
どこの神社についてもご神徳(ご利益(りやく)とは仏教語)があり、その内容は祀られている神にまつわる事績などの伝承によるものがほとんどで、八幡様についてもそのようないくつもの伝承によります。
まず、多くの武将たちが崇敬したことから分かる通り、武道の神としての信仰がある。
戦勝祈願、必勝祈願に訪れる人が数多。
一般的に多くいわれるのは厄除け。
武道の神は敵を退けるという考えが、敵だけでなく災いをも退けるという考えに発展。また御祭神の神宮皇后が初めて方位除けのご祈祷をしたという記述が残っており、それに由来するという説もある。
他には安産と子育てのご神徳もあります。上記の神宮皇后が子供を身籠っている時に戦へでかけ、途中で産気づいたのを我慢して圧勝したと伝えられているために生まれました。



2012年01月15日 18:03
(11.06.20.加筆修正)
※八幡神社起源(八幡杜・八幡宮)
全国に8786社。墳内社を除く。
大分県宇佐市に鎮座の“宇佐神宮”が本社。
御祭神は応神天皇(誉田別尊(品陀和氣命。ほむたわけのみこと))、
神功皇后(気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、大帯比売命(おおたらしひめのみこと))、
比売神三神(特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神を指すもの。宇佐神宮ほかではこれは宗像三神のことであるとしているが、八幡社の比売大神の正体については卑弥呼をはじめとして諸説)。

欽明天皇の御代(540〜571)、豊前国宇佐郡の御許山(おもとさん)に姶めて現れ、大神比義(おほがみひぎ)によって祀られるようになる。
奈良時代、聖武天皇の詔によって進められた東大寺の大仏建立を助けるため八幡神は上洛。東大寺の守護神として鎮座(現・手向山神社)。
次第に仏教との習合を深めていったため、仏法守護の神として崇められ、“八幡大菩薩”の称号が奉られた。
奈良時代末期、和気清麻呂が宇佐八幡宮の託宣を受け、皇位を狙う道鏡の野望を阻止したことにより、皇位守護の神としての性格も強めた。
平安時代、平安京の守護神として勧請され、都の裏鬼門(南西)の男山に祀られたのが、現在の石清水八幡宮。鎮護国家の神として朝廷のあつい崇敬を請ける。
この社前で元服の式を挙げたのが“八幡太郎”として名高い源義家。義家は源氏の棟梁として八幡神を氏神、また武門の守護神として仰ぐ。
その由縁で頼朝が鎌倉幕府の中心に鶴岡八幡宮を創建。この他、祭神の縁故の地や三社の神領への分祀、ことに源頼義や義家などの歓請で各地に祀られるようになった。

“八幡”の文字が初めて出てくる“続日本紀”(天平9(737)年)で、読み方を同書天平勝宝元(749)年の宣命に“広幡乃八幡大神(ひろはたのやはたのおおかみ)”のように「やはた」と読み、“日本霊異記”の「矢幡(やはた)神」や“源氏物語 玉(たま)鬘(かずら)巻”の「やはたの宮」のように“八幡”は訓読だったが、のちに神仏習合して仏教読みの“はちまん”(音読)に転化したと考えられている。
“幡(はた)”とは“神”の寄りつく“依り代(よりしろ)”としての“旗(はた”を意味する言葉と読み取れる。八幡(やはた)は八つ(“数多く”を意味する)の旗を意味する。
神功皇后は三韓征伐(新羅出征)の往復路で対馬に寄った際、祭壇に八つの旗を祀り、また応神天皇が降誕した際に家屋の上に八つの旗がひらめいたとされる。託宣をよくする神としても知られる。
石清水八幡宮は多くの荘園を有したため、それらの土地に八幡神信仰が広まった。



2013年02月24日 13:06
御神徳を簡潔に書いておくと――
・武勇長久・勝利祈願・出世開運・子育大願・縁結び。
古代には、海神、農耕神、鍛冶の神としての自然信仰(古神道)もあった。

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