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mixi記事コピペ――2015年06月24日 14:06
●福島正則公荼毘所跡──
寛永元(1624)年7月13日、死去。
夏の暑い日であったため、腐敗をおそれた(「死に顔を見せるな」という正則遺言説。自刃を隠すため説)家老 津田四郎兵衛の手によりこの地で荼毘に付された。
幕府の検死前に荼毘へ付した責任を問われ、家禄2万石は没収、改易となる。
(幕府検死役 堀田正吉。)

父 福島正則が死んだ、御家取り潰しとなったこの年、正利は取りなしを願ってか、父の遺品から大御所 秀忠に正宗の刀、青木国次の脇差、木亘肩衝を、
3代家光に大光忠の刀、大森義光の脇差、あふら茶入を、
徳川忠長に切匁貞宗の刀、義光の脇差、修理肩衝をそれぞれ献上している。
寛永2(1625)年、幕府は正則の功績を再考し、正利に父の旧領から3112石を与えて旗本とした。
江戸定詰めの正利の知行所は、高井野藩領地の一部の信濃国高井野村・駒場村(高山村)、中島村(須坂市)、三王島(山王島)・雁田村(小布施町)、大熊村(中野市)の六ヵ村ではあったが、父同様に年貢を免除するなどして新田開発を奨励する。

※福島正利──
慶長6(1601)年〜寛永14年12月8日(1638年1月22日))。享年37。
通称、市之丞。
正利に嗣子無く、福島氏は断絶した。
(けっきょく。けっきょく┐(-△-≡-△-)┌)
墓所は東京都港区三田の正覚院。
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000095678279&owner_id=32815602
長野県高山村紫に供養塔。

※ちなみに……
福島正則の子ら──
正友、忠勝、正利、
娘(水無瀬兼俊室)、娘(大野猪右衛門室)。
養子 福島正之(甥、姉と別所重宗の子)、養女 玄興院(姪、水野忠正娘・来島長親室)


・一本杉──
荼毘所跡に福島正則の遺徳を偲び1本の杉が植えられ、高さ30m周囲9mを越す大木となった。この杉は、「一本杉」とよばれ、「杉の木に傷をつけると血が噴出す」と長い間村人の間に伝承され大切にされてきたが、昭和9(1934)年の室戸台風で倒壊。現在ある杉の木はその後植えられた2代目。


巡回マップ→ https://drive.google.com/open?id=1szYFJmzPavAqrh-vwWlslTX600Q&usp=sharing

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