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三囲稲荷神社(向島2丁目)

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写真: 三囲稲荷神社(向島2丁目)

写真: 三囲稲荷神社(向島2丁目) 写真: 三囲稲荷神社(向島2丁目)宝井其角「ゆうだちや」の句碑(雨乞いの句碑)

mixiアルバム「三囲稲荷神社(向島2丁目)」コピペ――
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000097770550&owner_id=32815602
2015年12月18日 22:56

15.12.18.
御祭神、宇迦御魂之命
御神徳→ http://amba.to/1m5DKAG
創建、不詳

みめぐり。
もとは200mほど南の田の中にあり、社名も「田中稲荷」だった。はじめ牛嶋神社の隣にあったが洪水で流され、河岸に堤が築かれることになったとき南へ移動した。
(対岸から見ると、鳥居がその堤から頭だけ出した奇妙な絵面に見えたため、浮世絵などに好んで描かれたとか。)

文和年間、近江国三井寺の僧 源慶が当地へ遍歴して来た時、小さな祠のいわれを聞き再建したという。
社殿改築のおり、掘ったさきから壺が出土。その中に右手に宝珠、左手にイネを持つ白狐に跨った老爺の神像があった。そのとき突然白狐が現れ、その神像の周りをみたび回って消えた。これが名称の由来となる。

明治末期頃は、王子稲荷に次ぐ人気だったとか。

三囲稲荷神社の隅田川堤と浅草三谷堀口の今戸橋とを結ぶ「 竹屋の渡し」が昭和初期まであった。


●三越本店屋上にも三囲稲荷神社が勧請されている。
(→wiki)元禄6年(1693年)、旱魃の時、俳人其角が偶然、当地に来て、地元の者の哀願によって、この神に雨乞いする者に代わって、「遊(ゆ)ふた地や田を見めくりの神ならは」と一句を神前に奉ったところ、翌日、降雨を見た。このことからこの神社の名は広まり、松阪の豪商・三井氏が江戸に進出すると、その守護神として崇め、越後屋の本支店に分霊を奉祀した。(←)

三囲神社のある向島は三井の本拠が置かれた江戸本町から東北の方角──鬼門にあり、また三囲神社の“囲”の字に三井の“井”の字が入っていることから「三井を守る」と考えられたため、享保年間ころ、三井氏は三囲神社を江戸における守護社と定めた。


●老翁老嫗の石像──
元禄の頃、この三囲稲荷にある白狐祠(びゃっこし)を守る老夫婦がいました。願う事のある人は老婆に頼み、老婆は田んぼに向かって狐を呼びます。すると、どっからともなく狐が現れて願い事を聞き、またいずれかへ姿を消してしまうのです。不思議なことに、他の人が呼んでも決して現れることがなかったそうです。
俳人其角は、そのありさまを「早稲酒や狐呼び出す姥が許」と呼んでいます。老婆の没後、里人や信仰者がその徳を慕って建てたのが、この老夫婦の石像であると伝えられています。老嫗像には「大徳芳感」、唐翁像には「元禄14年辛巳5月18日、四野宮大和時永、生国上州安中、居住武州小梅町」と刻まれています。(平成18年12月 墨田区教育委員会掲示より)
石碑等々について参考(猫の足跡さまm(_ _)m)→ http://www.tesshow.jp/sumida/shrine_mukojima_mimeguri.shtml


猫の足跡さまには江戸散歩のさい大変お世話になっておりますm(_ _)m




mixiコメント――
指定文化財──
老翁老嫗の石像
宗因白露の句碑
宝井其角「ゆうだちや」の句碑(雨乞いの句碑)(墨田区登録文化財)
三囲神社の石造常夜燈
石造鳥居(堤下の大鳥居)(墨田区登録文化財)
三囲神社本社(墨田区登録文化財)
狛犬(墨田区登録文化財)
三囲神社の石造神狐(墨田区登録文化財)
菱湖先生之碑
日比翁助の歌碑(いしがきの)
萩廼家裏住の辞世狂歌碑(楠の)
服部山蝶の句碑(きぬぎぬの)
朱楽菅江辞世狂歌碑(執着の)
秦蒙将軍之象の碑
富田木歩の句碑(夢に見れば)
助高屋小伝次之碑
表功碑
木遺音頭の碑

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