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12.04.18.妙厳寺 豊川稲荷東京別院(港区元赤坂)惣門

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写真: 12.04.18.妙厳寺 豊川稲荷東京別院(港区元赤坂)惣門

写真: 12.04.18.妙厳寺 豊川稲荷東京別院(港区元赤坂) 写真: 日テレタワー南西(港区東新橋)

mixiアルバム「豊川稲荷(港区元赤坂)/大岡越前守忠相」
2012年04月18日 19:52
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000056956332&owner_id=32815602 コピペ

12.04.18.
●妙厳寺 豊川稲荷東京別院――
曹洞宗。
本尊、豊川荼枳尼天。
開基、大岡忠相(ただすけ)。
創建、文政11(1828)年。
豊川稲荷 妙厳寺(愛知県豊川市)の、唯一の直轄別院、飛び地境内。
大岡家では、三河時代より豊川稲荷を信仰しており、越前守の時に、江戸の下屋敷に荼枳尼天を勧請して祀ったといわれる。
下屋敷が赤坂一ツ木に移転の折にも、移転先の屋敷で引き続き豊川稲荷が祀られた。
当時江戸では稲荷信仰が盛んで、大岡邸では毎月“午の日”と22日には門を開けて、一般庶民の参拝を許していたという。

※参考アメブロ「神社/稲荷神社・神号」→ http://ameblo.jp/emeth-spriggan/entry-10978015466.html
※「午歳2・稲荷神社3(初午・いなり寿司・きつねうどん)/土用の丑」→ http://ameblo.jp/emeth-spriggan/entry-11159894977.html

文政11(1828)年、信徒の要望により、妙厳寺が一ツ木の大岡邸の敷地の内、4分の1(約250坪)を借り受け、豊川稲荷の江戸参詣所を建立したのが、東京別院の創建とされる。
江戸参詣所が設けられたことにより、一般信徒も参拝が毎日可能になり、今までの大岡邸の屋敷稲荷は「奥の院」とされた。
明治9(1876)年、東京府は、私有地で祀られる社堂への、無許可での一般参拝を禁止する布達を出した。これにより東京参詣所も一般参拝ができなくなり、大岡邸の荼枳尼天の分霊は、豊川の妙厳寺本院へ還された。
2年後、府から許可が下り、一般参拝が再開された。
明治20(1887)年、大岡邸の一角では手狭になり、堂宇の新築または増築も困難であることなどから、現在地(元赤坂一丁目)に移転した。

大岡越前守は、江戸南町奉行としての活躍や、旗本から大名へ取り立てられたことで知られる。
それにあやかり江戸の豊川稲荷も、立身出世や盗難避け、失し物・失踪人などの効験で評判となる。
川柳にも、
石川は 盗み 豊川 盗ませず――
と詠まれた。
また明治以降の赤坂は、料亭や芸者などが集まる花柳界が発展し、芸道を生業とする人々からの信仰も増えた。
現在も、ジャニーズ事務所所属タレントをはじめ、著名な芸能人、スポーツ関係者からの信仰を集めており、2月の「節分会」には各界有名人も多数参加する。

狐様がすんっごい……わんさか!!\(>д<)/

アルバム: 公開

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